上野公園にかつてあった上野大仏。現在は大仏のお顔だけがレリーフとして安置されています。
胴体を失いお顔だけになった大仏は、これ以上落ちないという意味で「上野合格大仏」とも呼ばれ、合格祈願のために多くの受験生が訪れます。
今回は、上野大仏の歴史や御朱印、アクセス方法などをご紹介します。
東叡山寛永寺 上野大仏
上野公園内にある上野大仏。
大仏山という丘の上にあります。
案内板の横には「合格祈願 上野合格大佛」と書いてあるように、こちらには多くの方が合格祈願のために訪れます。
上野大仏は東叡山寛永寺の大仏です。
かつては上野公園一帯が寛永寺の境内で、寛永寺も現在の上野公園内にありましたが、今は上野桜木にあります。
階段を上ると、境内の入り口近くに手水舎があります。
また、身を清める常香炉もあります。
上野大仏
そして、こちらが上野大仏のお顔です。
こんなに間近に大仏様のお顔が見れることってなかなかないですよね。
胴体部分をなくした大仏はこれ以上落ちないという意味で多くの人が合格祈願に訪れます。
お顔に優しく触れてみてください。
パゴダ薬師堂
また、昭和42年、大仏殿の跡地に建てられたのがパゴダです。
バゴダとは英語で仏塔を意味します。日本ではミャンマー様式の仏塔を意味しています。
こちらでは、ご本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。
中央の薬師如来は病気に苦しむ人々を救う仏様で、当病平癒(心と身の病を癒す)のご利益を授けていただけます。
左右に日光菩薩と月光菩薩を脇侍として薬師三尊像として並んでいらっしゃいます。
薬師如来は大医王佛とも称される生命を病苦から救う佛様ですので、
薬師如来絵馬を受付にて授かり、願意と名前を記入します。
次に絵馬を合掌にはさみ、正面で一礼。
時計回りに薬師如来のご真言「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」を唱えながらパゴダの周りを歩きます。ひと回りする間に7回唱えます。
正面に戻ってきたら一礼して絵馬にかけに絵馬をかけて祈願完了です。
上野大仏のお顔が描かれた合格祈願の絵馬がずらりと並んでいます。
桜の形の「さくら咲く」絵馬も。
合格祈願だけでなく、合格お礼絵馬もたくさんありました!!
上野大仏・パゴダの御朱印は?
以前は、こちらの御朱印は清水観音堂でしかいただけませんでしたが、こちらでもいただけるようになりました。
右手の社務所でいただくことができます。
お守り授与所から左に回るとあります。
こちらでは、上野大仏(釈迦如来)とパゴダ(薬師如来)の2つの御朱印をいただくことができます。
1部300円です。
御朱印の受付時間は10時から15時まで。12時から12時半まではお昼休みです。
少し早めに閉まってしまうこともあるのでご注意ください。
上野大仏オリジナルの御朱印帳はイラストレーターの田中ひとみさん作で、上野大仏のお顔と桜がデザインされたものです。
上野大仏の歴史
上野大仏は寛永8年(1631)に越後村上藩主の堀直寄が、戦死者慰霊のために建てた「釈迦如来」です。
京都の方広寺の大仏に見立てられ、当初は漆喰で作られました。
しかし、正保4年(1647)の地震で倒壊してしまい、その後木喰上人(もくじきしょうにん)が青銅製の約6mの大仏を復興します。
元禄11年に、輪王寺宮公弁法親王が大仏殿を建て、伽藍が整いました。
その後もたびたび罹災し、そのたびに復興されてきました。
しかし、関東大震災によってお顔が落ちてしまいます。
破損したお顔と胴体は撤去され、寛永寺に保管されますが、胴体は第二次世界大戦の時に軍需品製造の供出令によって徴用されてしまいます。
その後、昭和42年に上野観光連盟が願主となり大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建てられます。
本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。
昭和47年、寛永寺に保管されていたお顔はレリーフとして安置されました。
こちらには明治期の大仏の写真があります。
正岡子規が詠んだ上野大仏の句が紹介されています。
「大仏を 埋めて白し 花の雲」
上野大仏の開門時間・アクセス
開門時間
10:00~16:00
※御朱印受付は15:00まで
※お守りの授与は15:30まで
アクセス:
所在地:東京都台東区上野公園4-8
【JR「上野駅」からのアクセス方法】
①「上野駅」公園口を出たら、正面の横断歩道を渡り上野公園内に入ります。
②東京文化会館横の道を進んでいきます。
③十字路で左折します。
④少し進み、途中右手にあります。