徳川将軍6人が眠る寛永寺の徳川家歴代将軍御霊廟

徳川家歴代将軍御霊廟

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徳川将軍家のお墓は日光東照宮、増上寺、谷中霊園、そして寛永寺の4か所にあり、それぞれに15人の歴代将軍たちが埋葬されています。
今回は鶯谷駅近くにある寛永寺霊園の「徳川歴代将軍御霊廟」をご紹介します。

徳川歴代将軍御霊廟とは?

上野桜木にある「寛永寺」は徳川将軍家安泰を祈願するために建てられたお寺ですが、やがて先祖の位牌を納める菩提寺を兼ねるようになり、御霊廟が建てられました。
寛永寺霊園には全部で6人の将軍の霊廟があります。
・4代将軍家綱
・5代将軍綱吉
・8代将軍吉宗
・10代将軍家治
・11代将軍家斉
・13代将軍家定
しかし、第二次世界大戦によってほとんどが焼失してしまいましたが、勅額門と水盤舎は被害を免れて、国の重要文化財に指定されています。
また、宝塔部分も難を逃れました。
そして、昭和39年には位牌の安置所として霊殿が復興されました。
霊廟内は通常非公開ですが、特定日のみ公開されていて参拝することができます。→東叡山寛永寺特別参拝申し込み

ところで、御霊廟とは何でしょうか?
御霊廟というのは、御本尊・位牌・将軍の木像を安置する本殿と、それを拝む拝殿、それを相の間でつなぐ「相の間造り」という霊廟建築と将軍が埋葬される宝塔(墓所)、水舎盤などの総称です。

将軍霊廟の様式は、初代家康のものから時代によりかなりの変化があり、4代家綱公の時に廟を含めた様式が完成し、それは7代家継公まで続きます。
霊廟の霊とは、御本尊、位牌、将軍の肖像を祀る霊殿部分で、二天門、勅額門、鐘楼、水盤舎、井戸屋形、中門、廻廊、拝殿、相之間、本殿、透塀、仕切門、装束所を含み、仕切門を出ると廟(墓域)になり、そこには唐門、拝殿、中門(鋳抜門)、宝塔がありました。
その後、八代吉宗公の時に、綱吉公の廟の一部を拡張して、廟部分だけを造り、位牌等は綱吉公の霊廟に合祀して霊殿関係の一切の建物を略したため、以後幕末までこの様式が受け継がれました。
引用:寛永寺パンフレット

寛永寺の徳川歴代将軍御霊廟

徳川歴代将軍御霊廟があるのはJR「鶯谷駅」から徒歩2~3分の場所。
駅舎には「散策の街 鶯谷駅」と書いてありました。
鶯谷駅
南口を出たら、右に進みます。少し坂になっています。
鶯谷駅
そして突き当りを右折。国立博物館裏通りを進みます。右側の壁の向こうはすべて寛永寺霊園です。
鶯谷
第一霊園、第二霊園、第三霊園と続きます。
寛永寺霊園
そして、この中に御霊廟があるのです。
霊園の門には、徳川家の家紋「三つ葉葵」。
寛永寺霊園

厳有院殿(徳川家綱)御霊廟霊廟

そのまま進んでいくと、朱塗りの荘厳な勅額門が現れます。
徳川家歴代将軍御霊廟
門は閉まっています。
門の中に説明板があったので、目を凝らして読んでみると、「徳川家綱御霊廟勅額門」と書いてあります。
徳川歴代将軍御霊廟
家綱は、わずか10歳で将軍の座につき、延宝8年(1680)わずか39歳で亡くなりました。
法名は厳有院といいます。
家綱の霊廟は一部解体されたり、第二次世界大戦によって焼失してしまったそうですが、この勅額門と水盤舎は残りました。
どちらも重要文化財に指定されています。
水盤舎は家綱のために造られたものですが、勅額門は家光の上野霊廟の勅額門だったものを転用したものと考えられているそうです。
徳川歴代将軍御霊廟
色がくすんでいますが、当時は大変煌びやかだったと思われます。

少し先に行ったところから、寛永寺第二霊園内に入らせていただきます。
内側から見てみましょう。
徳川家歴代将軍御霊廟
勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺だそうです。
屋根の下には迫力のある龍がいます。
徳川歴代将軍御霊廟

そして、勅額門を背にして右斜め前あたりに赤い建物と屋根が見えます。
徳川歴代将軍御霊廟
こちらがおそらく、徳川家綱御霊廟の水盤舎だと思われます。(間違っていたらすみません)
立ち入り禁止となっていて、近づくことはできません。
右奥に鉄の門がかすかに見えるでしょうか。その中に家綱の宝塔があるようです。
10代将軍徳川家治、11代将軍徳川家斉の宝塔もあるようです。

常憲院殿(徳川綱吉)御霊廟

さて、次の御霊廟に移りましょう。
墓地の中を通っていくこともできますが、道路を進んだ方がわかりやすいので、一度墓地から出て進んでいきます。
すると、門があり、その隙間から霊廟を覗うことができます。
徳川歴代将軍御霊廟

突き当りまで進み、霊園の中に入ります。
寛永寺霊園

こちらが5代徳川綱吉の霊廟勅額門(常憲院殿勅額門)です。
徳川家歴代将軍御霊廟
綱吉は延宝8年(1680)に兄の家綱の死に伴って将軍の座につき、宝永6年(1709)63歳で亡くなりました。
法名を常憲院といいます。
綱吉と言えば「生類憐みの令」を施行したことが有名。
また元禄11年(1698)寛永寺の根本中堂を建てたのも綱吉です。
綱吉の霊廟は歴代将軍の中でも最も整った霊廟の一つだったようですが、家綱の霊廟と同じく解体されたり、第二次世界で焼失してしまい、勅額門と水盤舎のみが残りました。
勅学門の形式は家綱のものと同じです。
徳川家歴代将軍御霊廟
水盤舎は、この勅額門の後ろにあるのですが、左に移動すると少し見ることができます。
徳川家歴代将軍御霊廟
木に隠れてしまっていてあまり見えませんが。
この奥には、5代将軍綱吉のお墓があります。
そして右側には、8代将軍徳川吉宗のお墓、左側には16代将軍家定と正室の篤姫のお墓もあります。

柵には所々破れてしまっていますが、篤姫についての説明がありました。
徳川歴代将軍御霊廟
篤姫の墓所は、綱吉公霊廟内、家定公の墓所の隣にあります。
宝塔の脇には好物だったとされる琵琶の木が植えられているそうです。

徳川綱吉の勅額門の右側は石垣で囲われています。
徳川歴代将軍御霊廟

徳川家歴代将軍御霊廟
左が徳川御三家の拝殿、右は御三卿の拝殿です。

まとめ

寛永寺には6人の徳川家将軍が埋葬されています。
また、すぐ近くの谷中霊園には徳川慶喜のお墓もあるので、ぜひ立ち寄ってみてください。

三つ葉葵

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜のお墓がある谷中霊園

2019年12月5日