今回は、江戸名所図絵や広重の錦絵にも描かれた、江戸名松の一つ「御行の松」をご紹介します。
根岸にゆかりのある正岡子規の俳句や樋口一葉の作品の題材にもなった松です。
御行の松を訪ねます
「御行の松」は江戸時代から、「根岸の大松」と人々に親しまれ、「江戸名所図会」や広重の錦絵にも描かれました。
遠くからでもその姿を望むことができたと言うので、さぞかし立派な大松だったのでしょうね。
「御行の松」があるのは根岸4丁目の西蔵院境外不動堂(御行の松不動尊)の境内です。
最寄り駅はJR「鶯谷駅」。南口を出て左へ、跨線橋を渡って階段を降りて直進すると言問通りにぶつかります。
通りを渡って串カツ田中の手前の道を左折します。
道なりに進んでいくと、電柱に「御行の松通り」という表示がありました。
しばらくすると左側に「西蔵院」がありました。
立派なお寺です。でも、御行の松があるのは境外の不動堂なので、こちらではありません。
関係ないですが、西蔵院の門前には「根岸小学校発祥の地」という石碑が建てられていました。
現在、根岸小学校はもっと鶯谷駅に近いところにあります。
あちらこちらに「こごめ大福」の広告が。
ありました!「竹隆庵岡埜本店」です。
看板にも書かれている名物のこごめ大福は、かの石原裕次郎さんも好物だったそうです!
でも今回の目的地はここではありません!
もう少し先です。
ありました!御行の松不動尊ののぼり旗が立っています。
境内に入らせていただきます。
正面に本堂があります。まずは参拝を。
お賽銭箱の奥に御行の松の歴史や由来がまとめられた小冊子が置いてあったので、いただきました。
御行の松の現在の姿は
松は境内の左手にあります。早速拝見しましょう。
ん?松が2本?
実は、江戸時代から親しまれていた松は、昭和3年に枯死してしまったのです。
現在ある松は三代目と四代目。
大正14年に日暮里の大火災があり難を逃れましたが、それ以降、急に衰えてしまったそうです。
さらに、樹下を流れていた音無川の川床が変化したことや、上流の田端、日暮里方面に著しく工場ができて、そこから排出する汚染水などが流れるようになったことが影響を与えたようです。
二代目は、昭和31年に上野寛永寺より贈与を受け移植しましたが、これも枯死してしまいます。
そして、昭和51年8月に、三代目の松が植えられました。
三代目は40年以上経った現在も元気に育っていますが、こちらは盆栽使用だったため、初代のような大松にはなっていません。
こちらが三代目の松です。
そこで、初代のように大きく育つことを願って、2018年に四代目が植樹されることになりました。
同年4月28日には四代目御行の松披露式典が行われました。
また、御行の松不動尊前の区道が「御行の松通り」と命名されました。
左が四代目、右が三代目です。
四代目の方が三代目より樹高が高いです。
横にも大きく枝を広げています。
手入れが行き届いていて美しいですね。
初代のように大きく枝を伸ばしそうです。
枯れてしまった初代の松ですが、戦後、土の中から根を堀り出して保存し、この根の一部で不動明王像を彫り、不動堂の中に祀られているそうです。
また、屋根に囲われた石の台座の上にも、初代の根が祀られていました。
時雨岡御行ノ松不動堂之碑(昭和26年5月建立)
御行松不動尊之碑(明治15年1月建立)
和漢朗詠集歌碑(文政2年3月建立)
御行の松の歴史
初代「御行の松」は、大正15年に天然記念物の指定を受けます。
その当時、高さ13.63メートル、幹の周囲4.09メートル、樹齢推定350年だったそうです!
明治35年に撮影された初代御行の松です。
「根岸御行の松 御行の松不動講編」
私が想像していた松とは違いました。
枝が大きく垂れ下がり、まさに「大きな傘を拡げたよう」。風格があります。
時雨の松
御行の松が出てきた最古の文献が室町後期の紀行「廻国雑記」だそうです。文明18年(1486年)、道興准后が東北地方巡遊の際に、浅草の石浜から上野に向かわれる途中で時雨が降り出したので、とある松のの大木の傘をひろげた様な枝の下に雨宿りをされ、その時に「霜ののちあらはれにけり時雨をば 忍びの岡の松もかいなし」と詠まれたという記述があるそうです。
この歌から、「時雨が岡」の地名が起こり、雨宿りされた松を「時雨の松」と呼ぶようになったそうです。
御行の松の由来
御行の松の名の由来は定かではないそうですが、「御行の松」と呼ばれるようになったのは宝暦(今から250年前)以降だそうです。
歴代の輪王寺の宮が、一代に一度100日間毎朝、修法を行っていました。
宝暦以降の、ある宮様がその修法の時に根岸のご隠居を通って松の木で休まれたそうです。
宮様の御行のお休みの松という意味で「御行の松」と呼ばれるようになったという説があります。
正岡子規の俳句や落語にも登場した御行の松
江戸時代から親しまれていた御行の松は、明治時代には樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなりました。
正岡子規が御行の松を題材にした俳句の句碑が、御行の松のすぐ側に建てられています。
「薄緑 御行の松は 霞みけり 子規」
平成13年9月19日に正岡子規没後百年記念で建てられたものです。
また、三遊亭円朝作の落語「お若伊之助」の中にも出てきます。
「お若伊之助」の簡単なあらすじは以下の通りです。
生薬屋の一人娘、お若と伊之助を別れさせた後も、逢引きする2人。
お若は妊娠し、ある晩伊之助は殺されてしまいます。
しかし、殺された伊之助の正体は狸でした。しばらくしてお若は双子の狸を産みます。
しかし絶命していたので、葬ったのが御行の松のほとりの因果塚だったという噺です。
作り話なので、もともとこの因果塚は存在しませんでしたが、平成2年に地元の不動講の人たちによって「狸塚」が建てられました。
縁起が悪いという理由から因果塚ではなく狸塚になりました。
狸塚と彫られた石の両脇には狸の夫婦が置かれています。
所在地:東京都台東区根岸4-9-5
アクセス:JR「鶯谷駅」より徒歩10分
台東区循環バス 北めぐりん「防災広場根岸の里」より徒歩1分
まとめ
江戸時代からこの根岸の地で親しまれてきた、御行の松。
初代の松は枯れてしまいましたが、昨年植えられた四代目もすくすくと育ち、初代の根も今なお人々から大切にされています。
四代目が初代のような大松になり、地域のシンボルとなることを願っています。
御行の松不動講編,2018,『根岸御行の松』