都内最古の住宅用洋館の一つが台東区根岸にあります。
この洋館、いったい誰が住んでいたのかと言うと、明治時代に外務大臣として大きな功績を残した陸奥宗光です。
今回は陸奥宗光が住んでいた根岸の旧陸奥宗光別邸をご紹介します。
根岸の里の侘び住まい
陸奥宗光(1844年8月20日~1897年8月24日)といえば、明治時代に活躍した外交官・政治家です。
第二次伊藤博文内閣の時に外務大臣として不平等条約の改正や下関条約締結に貢献するなど辣腕を振るいました。
頭が切れることから「カミソリ大臣」とも呼ばれていました。
そんな陸奥宗光が住んでいた別邸がある場所が、台東区根岸です。
根岸という地名の由来は、上野の崖の下にあり、かつて海が入り込んでいた頃、木の根のように岸辺が続いていたためといわれています。
江戸時代、現在の台東区根岸~東日暮里4、5丁目あたりを「根岸の里」といい、お金持ちがこぞって別邸を建てたそうです。
また、明治時代には文人・画人に好まれた場所でした。
正岡子規や洋画家・書家の中村不折、画家の酒井抱一の他、饗庭篁村、岡倉天心、幸田露伴などの「根岸党(根岸派)」と呼ばれる文人の一団も根岸に住んでいました。
「根岸の里の侘び住まい」という言葉もありますが、現在の根岸はラブホテルやマンションが立ち並び、車通りも多く、侘び住まいとはほど遠いイメージ。。
しかし、明治時代の根岸は民家が少なく、田園が広がる閑静な土地として知られていたそうです。
また、鶯が多かったことから「鶯の里」とも呼ばれていました。
明治27年から35年まで根岸に住んでいた正岡子規は「雀より 鶯多き 根岸かな」という句を詠んでいます。
大通りから一歩奥に入ると・・・
JR「鶯谷駅」北口を出て、交通量の多い言問通りを渡り、そこからちょっと入ると目の前に突然、壁一面ガラス張りの白い木造洋館が現れます。
周囲の建物とは異質なデザインの洋館に、ここが旧陸奥宗光邸と知らなくても、思わず立ち止まってしまいます。
陸奥宗光の邸宅というと北区西ヶ原にある旧古河庭園を思い浮かべる方も多いと思いますが、そちらは陸奥宗光が最後に過ごした豪邸です。
彼が政界に復帰したばかりの時に住んでいたのが根岸の邸宅でした。
宗光は西南戦争時に反政府的な行動を取ったとして、禁固5年の刑を受けます。
明治16年(1883年)1月に出獄して、同年9月にこの邸宅を購入したそうです。
明治17年4月から明治19年2月までロンドンに留学していて、その間、妻の涼子と子供たちがこの家で暮らしていました。
宗光が住んでいたのは、留学から帰ってきてから明治20年4月の六本木に引っ越すまでのたった1年間だったようです。
明治21年に借金返済と息子のロンドン留学費用捻出のためにこの邸宅を売却します。
見学できるのは外観のみ
この邸宅は現存する住宅用建築として建てられた洋館の中では都内でもっとも古いものの一つです。
白く塗られた木造2階建てで、大きな窓がいくつも並び、2階にはバルコニーが見えます。
コロニアル様式という建築様式で、明治や大正に建てられた洋館には多かったようです。
夏は開放的で風通しが良さそうですが、冬はきっと寒いのでしょう。
各部屋には暖炉が備え付けてあるそうです。
茶色い屋根にはツタが張り巡らされています。
内部がどうなっているのか気になりますが、立ち入り禁止となっていて見学することはできません。
邸宅の前に掲示してあった看板によると、玄関を入るとすぐに階段があり、その階段の手すりの親柱には陸奥家の家紋の「逆さ牡丹」が彫刻してあるそうです。
もともとは、現存の洋館に和風(内部は洋風)の建物が付属した接客部と、母屋に付属した離れと土蔵二つを持つ生活部からなる和洋館並列型住宅だったそうです。
その後、長谷川武次郎が買い取る
明治40年(1907年)に長谷川武次郎が買い取ります。
長谷川武次郎は「ちりめん本」の出版を行っていて、住まい兼社屋(長谷川弘文社)としてこの家で暮らしました。
ちりめん本とは、木版多色刷り発色の美しい絵と欧文活字が印刷された和紙を何度も絞って加工した本です。
紙がちりめん状になっていることから「ちりめん本」と呼ばれました。
日本人なら誰でも知っている「桃太郎」や「舌切り雀」などの「日本昔話」シリーズは英語の他、フランス語、ドイツ語、スペイン語など確認できるだけで9ヶ国語版あります。
ちりめん本は外国人のお土産としても人気を集めました。
長谷川武次郎は日本の出版物を海外に輸出した先駆けといえます。
この出版事業は大正、昭和と引き継がれ、現在は長谷川武次郎のご子息の西宮氏ご家族がこの家に住んでいらっしゃいます。
旧陸奥宗光邸までのアクセス方法
①JR「鶯谷駅」北口を出ます。
②少し左の道を言問い通りの方に進みます。
③言問い通りを横断し、右折します。
④鴻福餃子酒場ともりもりの間の道を入ると突き当りに白い洋館が見えてきます。
まとめ
鶯谷駅近くに明治時代のレトロな洋館が建っているなんて驚きです!
明治時代に建てられた洋館で今なお残っているものは少なく、歴史的価値があり、大変貴重な存在です。
お近くに来た際にはちょっと立ち寄ってみてはいかがですか?
住宅街にあり、現在もご家族がお住まいなので、敷地の外部から静かに見学しましょう。
ウィキペディア(Wikipedia)陸奥宗光(最終閲覧日:2019/11/21)