鶯谷駅からすぐの場所にある「元三島神社」。
下谷七福神の一つ、寿老人が祀られ、七福神巡り開催時期は多くの参拝客が訪れます。
今回は、元三島神社の見どころや御朱印などをご紹介します。限定の御朱印もありますよ。
元三島神社の基本情報
御祭神 | 大山祇命・伊佐那岐命 相殿神 和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命 |
例大祭 | 5月14日15日 (但し、現在交通事情により5月第二土曜、日曜とする) |
所在地 | 東京都台東区根岸1-7-11 |
アクセス | JR山手線・京浜東北線「鴬谷駅」より徒歩1分 |
地図 |
元三島神社の縁起・由来
元三島神社は愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座する「大山祇神社」をご本社としています。
大山祇神社は、第62代円融天皇の代に「日本総鎮守」の称号を賜り、明治時代には国幣大社に並べられ、四国唯一の大社です。
元三島神社の起源は弘安4年(1281)の弘安の役(元寇)に遡ります。
伊予水軍を率いた勇将の河野通有は大山祇神社で必勝祈願をして九州に出兵します。
日本軍は見事勝利し、上野の山に帰国したところ、夢の中で大山祇命神のお告げがあり、上野の山中にあった河野氏の館に大山祇神社のご分霊を移して祀った「三島神社」が始まりです。
江戸時代に徳川家から社領拝領を預かりますが、慶安3年(1650)三代将軍家光の時に金杉村(現・台東区根岸付近)に移転します。
宝永6年(1709)、金杉村の社地が幕府御用地となったため、代替地として浅草小揚町に再び遷座しました。
しかし、代々、金杉村に住む氏子住民から氏神様の遷座は不都合だという訴えが起こり、協議の末、金杉根岸の地の熊野神社と合祀することになり、これを元三島神社と称することになりました。
主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称されます。
元三島神社は下谷七福神の一つ「寿老人」が祀られています。
元三島神社までのアクセス方法
元三島神社はJR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」北口からすぐの場所に鎮座しています。
ホームからも社殿が見えます。
鶯谷駅北口を出るとすぐ目の前に見えますが、門まではぐるっと回りこまないといけません。
左手のローソンを右に曲がります。
京樽を右折します。
細い路地を道なりに進んでいきます。
ホテル街を進んでいくと、右手にあります。
元三島神社の見どころ
山門をくぐると、まず鳥居が出迎えてくれます。
鳥居をくぐるとすぐ一対の狛犬がいます。
右の狛犬。
参道を進んでいくと、右手に手水舎があります。
社殿があるのは25段ほどある階段の上。石段前にも賽銭箱があるので、こちらでもお参りできます。
では、石段を上って行きます。
上った先にも鳥居があり、その奥に社殿があります。
社殿の前にも一対の狛犬がいます。
こちらの社殿は昭和51年4月に造営されたものです。
明治4年に再建された社殿は昭和20年、戦火で焼失してしまいます。
昭和22年に造営されましたが、老朽化によって昭和51年に再び造営されました。
ご祭神は日本神話に出てくる「大山祗命(おおやまつみのみこと)」。山の神とされています。
和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀されています。
こちらには下谷七福神の一つ「寿老人」が祀られています。
社殿の中をのぞくと拝見することができました。
境内には神楽殿や、
正岡子規の句碑も立っています。
「木槿咲て 繪師の家問ふ 三嶋前」
洋画家の浅井忠の家を訪ねた時に詠まれた句です。
正岡子規が晩年を過ごした家「子規庵」はここからすぐの場所にあります。
元三島神社の御朱印
元三島神社の御朱印は、社殿の左手の社務所でいただくことができます。
通常いただける御朱印は2種類。
「元三島神社」の御朱印と「寿老人」の御朱印です。
初歩料は神社の御朱印が500円、寿老人の御朱印が400円です。
今回は神社の御朱印をいただきました。
元三島神社ではさまざまな限定の御朱印もいただくことができます。
写真は3月3日にいただける桃の節句の御朱印。
右の御朱印は写真だとわかりにくいですが、緑、赤、金のメタリックの泥墨で書かれています。
この他にもいろいろな限定御朱印があります。
・七草の節句御朱印(1月7日)
・桃の節句御朱印(3月3日)
・端午の節句御朱印(5月5日)
・夏詣御朱印(7月1~7日)
・重陽(菊)(9月9日)
元三島神社のオリジナル御朱印帳もあります。
紺地に波がデザインされ、ご祭神の大山祇神の神使の白鷺が矢を加えて飛んでいます。