正岡子規が晩年を過ごした台東区根岸~上野の街を歩いてみた~子規ゆかりの地を巡る~

子規庵

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日本の有名な俳人・歌人・国語学研究科である正岡子規。
正岡子規は晩年を台東区根岸で過ごしました。
根岸に住むことを誇りに思い、暇さえあれば根岸周辺を散歩し、俳句を詠んだそうです。
病によって歩くことができなくなってからは人力車で回り、それもできなくなれば、六畳の病床から町の音に耳を澄まし俳句を詠んだそうです。
今回は根岸周辺で子規の足跡を辿ってみたいと思います。
正岡子規文学散歩の地図は上野観光連盟公式サイトを参照してください。

正岡子規ゆかりの地を巡る根岸~上野の文学散歩

子規も愛したお団子屋さん「羽二重団子」

羽二重団子
まず訪れたのは「日暮里駅」南口もしくは東口から徒歩3分ほどのところにある「羽二重団子本店」。
1819年創業、子規をはじめ明治の文豪たちも愛したお店です。
2019年5月にリニューアルオープンしました。
羽二重団子
昔ながらの生醤油の焼き団子と、餡団子の二種類が看板メニューです。
羽二重団子
一般的なまん丸のお団子ではなく、少し平べったい形をしています。
滑らかで粘りがあり、やわらかいお団子です。
この「羽二重団子」は正岡子規の『道潅山』にも登場します。
「こゝに石橋ありて芋坂團子の店あり。繁昌いつに變わらず。・・・戯れに俚歌を作る。
根岸名物芋坂團子賣りきれ申候の笹の雪」
芋坂というのは、羽二重団子の向かって右側の道で、善性時の門前から谷中墓地までの坂道です。現在は線路で分断されてしまっています。
芋坂の名前の由来ははっきりとはわかっていませんが、このあたりで自然薯が採れたからという説があります。

お店の脇に子規の句碑もたてられています。
羽二重団子 子規の句碑
「芋坂も団子も月のゆかりかな」

こちらでは「文豪が好んだセット」というメニューがあり、子規や夏目漱石などが好んだセットがいただけます。
「子規セット(1,120円)」は焼1本・餡3本。
正岡子規が亡くなる前年に書かれた日記『仰臥漫録』には、日々の食事や服用した薬、俳句短歌が記録されていますが、その中に間食に羽二重団子を食べたという記述があります。

間食:
芋坂團子を買来らしむ(これに付悶着あり)
あん付三本焼一本を食ふ 麦湯一杯
引用:正岡子規『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』

子規はどういう順番で食べたのかわかりませんが、甘い餡団子としょっぱい焼き団子を交互に食べていると、永遠に食べ続けられそうなぐらい、どんどん食べられちゃうんです。

羽二重団子

日暮里の老舗団子屋「羽二重団子」の文豪たちも愛したお団子

2020年1月21日
店名 羽二重団子 本店
住所 東京都荒川区東日暮里5-54-3
営業時間 9:00〜17:00(L.O16:45分)
定休日 年中無休
アクセス JR「日暮里駅」東口より徒歩3分
公式サイト http://habutae.jp/
地図

次に向かうのは子規が晩年を過ごした家。
羽二重団子からは徒歩5分ほどのところにあります。
住所が荒川区東日暮里から台東区根岸に代わったところで、こんな看板が。
根岸看板
明治後期の根岸の復元図が貼られています。
また、根岸の街角にはさまざまなところに子規の俳句が貼られているそうです。

晩年を過ごした家「子規庵」

子規庵
ホテル街を通っていくので、本当にこんなところにあるの??と思ってしまいますが、ホテル街が途切れた先に歴史を感じさせる佇まいの家が建っています。
そこが東京都指定史跡にも指定されている子規庵です。
子規庵
子規庵は、元々は旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で、2軒続きの1軒だったといわれています。
結核を患っていた子規は明治27年2月に故郷の松山から母と妹を呼び寄せて、この家に移り住みました。
この家には高浜虚子や画家の浅井忠、夏目漱石、森鴎外、与謝野鉄幹など多くの友人や弟子たちが訪れ、句会歌会も行われました。
しかし、病状は悪化し、明治35年9月19日に下記の絶筆三句を残し、35歳でその短い生涯を終えます。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあわず」「 をとゝひのへちまの水も取らざりき」
3句とも6畳間の病床から見える軒先の糸瓜(へちま)が詠まれた俳句でした。
そのため、子規の忌日は「糸瓜忌」とも呼ばれています。
子規庵
母と妹は子規が亡くなった後もここに住み続けます。
関東大震災の影響と老朽化により、昭和元年に解体され復元工事が行われました。
その際、六畳間の濡縁や浴室が追加されたり、台所の仕様も変わりました。
しかし、昭和20年、戦火によって消失してしまいます。
子規庵の復元と保存を望んだ子規の門弟の寒川鼠骨たちの協力のもと、焼失前の建物が再建され、今も大切に守られ続けています。
現在の子規庵は、昭和元年に復元された家の仕様だそうです。

9月1日~9月29日まで「2019糸瓜忌パネル展示」を開催しています。
今年は『仰臥漫録』『病牀六尺』より、子規の最後の一年の「食べる」ということにスポットを当てたパネル展示です。
ぜひ行ってみてください♪

施設名 子規庵
住所 東京都台東区根岸2-5-11
時間 10:30~12:00 13:00~16:00
定休日 月曜日
※月曜日が祝日の場合、翌火曜日
8月、12月、1月に休庵期間あり
入庵料 500円
アクセス JR「鶯谷駅」北口より徒歩5分
公式サイト http://www.shikian.or.jp/
地図

子規庵の近くには「ねぎし三平堂」、向かいには洋画家の中村不折旧宅(現・書道博物館)があります。
書道博物館中村不折旧宅

御行の松

御行の松
根岸4丁目の西蔵院不動堂にある「御行の松」は「江戸名所図会」や歌川広重の錦絵にも描かれ、江戸時代から親しまれていた名松です。
遠くからでも確認できるほど大きかったという松は、子規の俳句の題材にもなりました。
句碑が、御行の松のすぐ側に建てられています。
御行の松-正岡子規句碑
「薄緑 御行の松は 霞みけり」
子規の俳句にも詠まれた初代の松は残念ながら枯れてしまいましたが、現在は四代目の松がすくすくと成長しています。

寺院名 西蔵院不動堂(御行の松不動尊)
住所 東京都台東区根岸4-9-5
アクセス JR山手線「鶯谷駅」南口より徒歩10分
台東区循環バス 北めぐりん「防災広場根岸の里」より徒歩1分
地図

豆富(豆腐)料理「笹乃雪」

笹乃雪
JR「鶯谷駅」に向かう途中にあるのが、豆富料理「笹乃雪」です。
創業320年の老舗豆腐料理専門店です。
正岡子規もよく利用していたそうです。
豆腐ではなく「豆富」と書かれているのは、80年ほど前に9代目当主の奥村多吉が料理店に「腐る」という字はふさわしくない、という理由からだそうです。
子規に提供された当時の製法そのままのにがりと湧き水のみを使用した豆富の味をいただけます。

お店の前に句碑がありますが、子規の直筆だそうです。達筆ですね。
笹乃雪-子規句碑
「水無月や根岸涼しき篠の雪」(明治26年)
「蕣に朝商ひす笹の雪」(明治30年)

店名 根ぎし笹乃雪
住所 東京都台東区根岸2-15-10
営業時間 11:30~20:00
定休日 月曜日
※月曜日が祭日の場合は火曜日
アクセス JR山手線「鶯谷駅」北口より徒歩2分
公式サイト http://www.sasanoyuki.com
地図

根岸小学校

根岸小学校-子規句碑
笹乃雪の向かいのある「根岸小学校」の前にも句碑が建てられています。
当時このあたりは根岸の里と呼ばれ、田畑があったそうです。また、鶯が多かったことから「鶯の里」とも呼ばれたそうです。
「雀より鶯多き根岸哉 子規」(明治26年)
現在は圧倒的にスズメの方が多いです(;’∀’)

住所 東京都台東区根岸3-9-8
アクセス JR「鶯谷駅」北口より徒歩3分
地図

元三島神社

元三島神社
「鶯谷駅」北口の前にある元三島神社。
元三島神社-子規句碑
愛媛県大三島にこの神社の総社「大山祇神社」があり、子規没後百年記念として松山俳句協会から寄贈された句碑です。
その当時、元三島神社の奥には洋画家・浅井忠の家があり、そこを子規が訪ねた時に詠まれた句です。
「木槿咲て絵師の家問ふ三嶋前」

住所 東京都台東区根岸1-7-11
地図

入谷鬼子母神(真源寺)

入谷鬼子母神
入谷駅からすぐのところにある入谷鬼子母神。
正岡子規句碑
こちらにも句碑があります。
「蕣(あさがお)や君いかめしき文學士」
「入谷から出る朝顔の車哉」
入谷鬼子母神江戸時代から朝顔市が有名。そんな朝顔市のことが詠まれています。
また、夏目漱石との交流がうかがえる句だそうです。

住所 東京都台東区下谷1丁目12−16
地図

鷲神社

鷲神社
酉の市には多くの参拝客で賑わう鷲神社。
酉の市には熊手御守の「かっこめ」が授与されます。開運・商売繁昌のお守りとされています。
また、さまざまな種類の縁起物の熊手もあります。
上野駅-鷲神社
上野駅や鶯谷駅にも祀られています。上野駅のはかなり大きいです!
正岡子規句碑
「雑闇や熊手押あふ酉の市」
賑わう酉の市の様子が目に浮かぶ句です。

住所 東京都台東区千束3丁目18-7
地図

五條天神社

五篠天神社
上野公園内にある五篠天神社。
句碑がどこにあるのかわからず、境内をぐるぐる回ってしまいました。
結局、人に聞いたら鳥居の右手の自販機の近くにあるとのこと。
五篠天神社
子規の旅行記『はて知らずの記』の中にある、旅立ちの前に詠まれた句です。

「みちのくへ涼みに行くや下駄はいて」(明治26年)
「秋風や旅の浮世の果知らず」(明治26年)

住所 東京都台東区上野公園4-17
地図

上野恩賜公園正岡子規記念球場

正岡子規記念球場
子規は明治初期に日本にベースボールが紹介されて間もない頃の愛好者で、明治19年から23年まで上野公園博物館の横にあった空き地でも試合を行っていました。
上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006年7月21日に上野恩賜公園野球場に子規の句碑が設置されました。
そしてその時に球場の愛称が「正岡子規記念球場」の愛称が披露された
そのことにちなんで、2006年7月に草野球などができる「正岡子規記念球場」となりました。
正岡子規記念球場
「春風やまりを投げたき草の原」
こちらは明治23年に大学予備門の仲間と空き地でベースボール大会を行った時に詠まれた句です。

住所 東京都台東区上野公園5-20
地図

 

〈参考文献〉
羽二重団子公式サイト(最終閲覧日2019年9月19日)http://habutae.jp/
子規庵公式サイト(最終閲覧日2019年9月19日)http://www.shikian.or.jp/
根ぎし笹乃雪公式サイト(最終閲覧日2019年9月19日)http://www.sasanoyuki.com
上野観光連盟公式サイト(最終閲覧日2019年9月19日)https://ueno.or.jp/dl/pam_sanpo_06b.pdf

まとめ

子規の命日に根岸~上野の子規ゆかりの地を巡ってみました。
この他にも台東区内には全部で15か所に句碑が立てられています。
ゆかりの地を巡って、子規に思いをはせてみてはいかがですか?