かつては上野公園一帯が寛永寺の敷地だったという、江戸随一の寺院「東叡山寛永寺」。
今回は寛永寺の歴史や御朱印のいただき方、寛永寺までの行き方などをご紹介します。
東叡山寛永寺に参拝に伺いました
東叡山寛永寺は鶯谷駅から徒歩約8分、上野駅から徒歩約15分ほどの場所にあります。
上野駅から少し離れているため、人が少なくとても静かな場所です。
山門をくぐると、お手入れの行き届いた美しい境内が広がります。
ちょうど紅葉の時期だったため、イチョウやモミジが色づき、見ていると心が和みました。
向かって左側には寛永寺幼稚園が併設していて、時間帯によっては子供たちの元気な声が聞こえてきます。
参道を進んでいくと正面には根本中堂(こんぽんちゅうどう)があります。
根本中堂は元禄11年(1698)に建てられますが、慶応4年(1868)上野戦争で焼失してしまいます。
現在こちらにある根本中堂は明治12年に川越喜多院の本地堂を、子院の一つだった大慈院の地に移築してきたものです。
戦火を免れた寛永寺の本地堂の木材も加えて再建されました。
正面にかかる「瑠璃殿」の勅額や境内の二つの大水盤は焼失を免れたものです。
根本中堂内は開堂していれば入ることができます。
ただ、法事や行事の準備や設備点検などで閉堂している場合があります。
開堂している時は、お賽銭箱の左手に階段があるので、履物を脱いで根本中堂の中に入ります。
正面中央にご本尊が安置されている大きな厨子があり、その中には「薬師三尊像」が祀られています。秘仏のため普段拝見することはできません。
平安初期に造られた等身大の尊像で、国指定重要文化財となっています。
「薬師瑠璃光如来」は天台宗の宗祖・伝教大師最澄さまが自ら彫られたと伝えられています。
左右に祀られている日光菩薩・月光両菩薩は、薬師如来とは別のお寺から迎えたものだそうです。
厨子の前には薬師如来像の立像が祀られています。
また、厨子の両脇には四天王、十二神将などが祀られていました。ずらーっと並んだ仏像は圧巻です!
また、右手には寛永寺の歴史を流しているTVが置かれていました。
境内のさまざまな史跡
境内には様々な史跡があります。
- 慈海僧正の墓
慈海は東叡山凌雲院の僧侶です。
東叡山を統括し代表する学頭の第4世に任命されました。
学頭は凌雲院の住職が就任するのが恒例でした。
学頭は輪王寺宮や一山の学問上の師であるとともに、親王の名代として将軍などとの公式会見の席に参加できる唯一の有資格者でもありました。
墓所は当初、凌雲院境内墓地にありましたが、昭和33年に東京文化会館の設立に伴い、こちらに移築されました。
蓮華座上に舟型光背を背負い、未敷蓮華を左手にもつ聖観音菩薩像を浮き彫りに表現されています。
- 了翁禅師の塔碑
了翁道覚(1630~1707)はさまざまな社会事業に貢献した江戸時代前期の黄檗宗の僧侶です。
寛文5年(1665)に上野池野端(不忍池付近)に薬屋を開店し、その利益で難民救済や各宗派の寺院に経典を寄進しました。
また、寛永寺には和漢の書籍を収蔵し、講義を行う公開図書館勧学寮を設立しました。
このような功績から輪王寺宮天真法親王から勧学院権大僧都法印に任命されました。
こちらの塔碑は了翁道覚の業績が刻んだ顕彰碑で、安山岩製の六角形台座に大亀の台石の上に建っています。
- 了翁禅師の坐像
- 虫塚
この虫塚は、伊勢長島藩主・増山正賢の代表作、虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」の画材とした昆虫の霊を慰めるために、彼の遺志にによって建てられました。
「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は本草学に基づいた正確な虫の写生で知られています。
増山正賢は伊勢長島藩主・増山正贇(まさよし)の長男として江戸に生まれ、雅号に雪斎、石顛道人、玉淵などがあります。
こちらには、廃筆も一緒に埋められています。
当初、旧勧善院の境内に建てられましたが、昭和初期にこちらに移築されました。
- 上野戦争記念碑
幕末の慶応4年(1868)彰義隊ら旧幕府軍と新政府の間で上野戦争が起こりました。
この記念碑は彰義隊という名前を発案した阿部弘蔵が上野戦争の経緯を記したものです。
- 旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦
こちらは、現在「黒門」の通称で親しまれている寛永寺旧本坊表門に添えられていた「阿」形の鬼瓦です。
旧本坊表門は寛永初年に天海大僧正が建てたもので、天海をはじめ歴代の輪王寺宮が住まわれた場所の門でした。
門は昭和12年に現在の東京国立博物館から現在の場所に移築されました。
こちらは寛永寺根本中堂の屋根にあった鬼瓦です。
- 四代将軍家綱公御霊廟の梵鐘
四代将軍家綱の一周忌の延宝9年(1681)に厳有院殿霊廟前に奉納された梵鐘です。
台東区有形文化財に指定されています。明治維新以降に寛永寺根本中堂の鐘として移されました。
また、上野公園内には時鐘堂があります。
時の鐘ははじめ、江戸庶民に時を知らせるために江戸城内で撞かれていましたが、元禄以降、江戸の町の拡大に伴い、様々な場所に置かれるようになりました。
上野の山の鐘は寛文9年(1669)に設置されました。
創建以来、時々改鋳され、現在の鐘は天明7年(1787)に鋳造されました。
説明板にはこの鐘のことを詠んだ松尾芭蕉の句が紹介されています。
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」
除夜の鐘は根本中堂の「鐘楼堂」と上野公園内の「時鐘堂」の2ヶ所で行われます。
事前予約制となっています。
御朱印のいただき方
御朱印をいただける場所は根本中堂が開堂している場合と閉まっている場合によって異なります。
①根本中堂中堂が開堂している場合
根本中堂内の左手にある札場で御朱印やお守りをいただくことができます。
根本中堂の賽銭箱の左の階段を上り内部に入ったら、まずは参拝をしましょう。
お賽銭→合掌・一礼→お焼香→合掌・一礼
左手に札所があり、そちらで御朱印をいただくことができます。
お守りや御朱印帳なども札所で購入できます。
②根本中堂中堂が閉堂している場合
根本中堂が閉まっている場合、根本中堂の左奥に事務所があり、そちらでいただくことができます。
この日は閉堂していたため、事務所でいただきました。
こちらが事務所です。「寛永寺事務所」と案内が出ています。
「御朱印・お守り等の御用の方は左手インターホンにてお申し出ください」とあります。
インターホンを押して少しすると、僧侶の方が出てこられました。
御朱印と御朱印帳をいただきたい旨を伝えると、扉の奥に入って行かれました。
事務所の玄関にはこのように椅子が置かれていて、座って待てるようになっています。
御朱印帳やお守りなどのカタログ?があり、それを見て選ぶことができます。
しばらくすると、別の方(書き手の方)が出てこられ、御朱印をいただくことができました。
寛永寺の御朱印・御朱印帳
寛永寺の御朱印
こちらが寛永寺の御朱印です。とても迫力があります。
実はこちらが私の御朱印デビューでした!
墨の香りがいいですね。
御朱印は500円です。
中央に押された印はお薬師様をあらわすベイの梵字。
「瑠璃殿」は東方浄瑠璃浄土の教主であるお薬師様をご本尊とする伽藍をあらわしているそうです。
右上には徳川家の家紋三つ葉葵が押されています。
寛永寺の御朱印帳
寛永寺の御朱印帳は3種類あります。
紺色と緑色に三つ葉葵の紋が入ったシンプルな御朱印帳。
そして、浮世絵の柄の御朱印帳です。現在の上野公園噴水あたりにあった江戸時代の寛永寺が描かれています。
私はこちらの浮世絵の御朱印帳を選びました。
この絵を見ると、寛永寺が日本を代表する大寺院だったことがよくわかります。
紺色と緑色の御朱印帳は1つ1,000円、浮世絵の方は1,500円です。
寛永寺の歴史
東叡山寛永寺は寛永2年(1625)、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に慈眼大師天海大僧正が建てた天台宗の別格大本山のお寺です。
山号の「東叡山」は東の比叡山という意味です。
そのため、比叡山延暦寺に倣って、こちらの根本中堂(こんぽんちゅうどう)や不忍池辯天堂や清水観音堂などが建てられました。
根本中堂が五代将軍綱吉によって当初建てられた場所は現在の上野公園の噴水あたり。
大変大きく立派で、江戸随一の建物だったそうです。
その後、八代将軍吉宗の時代には境内の敷地は30万5千坪以上に。また、寺院の建物の数は30以上、子院は36と日本を代表する大寺院になりました。現在の上野公園一帯が寛永寺の敷地でした。
また、四代将軍の家綱の時に東叡山主として皇室から輪王寺宮を迎えます。
天皇家の皇子を山主に迎えることは天海僧正の生前の願いでした。
しかし、慶応4年(1868)上野戦争(彰義隊の戦い)によって敷地の大部分が焼失してしまいます。
さらに、境内地はほとんど国に没収されてしまいます。
その後、明治時代に徐々に復興され、子院の一つだった大慈院の地を本坊の境内として川越喜多院から本地堂を移築して根本中堂としました。
2025年に創建00年を迎えます。
寛永寺の開門時間やアクセス方法
所在地:東京都台東区上野桜木1丁目14−11
開門時間:9:00~17:00
アクセス:JR「鶯谷駅」南口より徒歩8分/JR「上野駅」公園口より徒歩15分
公式サイト:寛永寺
「鶯谷駅」からのアクセス方法
①「鶯谷駅」南口を出たらタクシーロータリーがあり、右へ進みます。
②突き当りを右折。
③中学校を左に曲がります。
④東京芸大体育館を右に曲がると、右手にあります。
「上野駅」からのアクセス方法
①「上野駅」公園口を出て、上野公園内に入ります。
②噴水の方へ向かいます。
③公園を抜けて、東京国立博物館の方に横断歩道を渡り左に進みます。
④旧博物館動物園駅と上島珈琲の間の道を右折します。
⑤1本目の道を左折すると、右手にあります。