上野公園にある「五條天神社」は病気平癒・健康祈願の医薬祖神を祀る神社です。
今回は、「五條天神社」の御朱印や見どころをご紹介します。
五條天神社の基本情報
上野公園不忍池近くに鎮座する五條天神社は医薬祖神の大己貴命(おほなむちのみこと)と少彦名命(すくなびこなのみこと)をお祀りしています。
また、相殿には江戸時代に合祀された菅原道真公をお祀りしています。
創始は第12代景行天皇の御代(110年頃)です。
御祭神 | 大己貴命(おほなむちのみこと) 少彦名命(すくなびこなのみこと) |
相殿 | 菅原道真公 |
所在地 | 東京都台東区上野公園4-17 |
アクセス | JR「上野駅」より徒歩約5分 京成本線「京成上野駅」より徒歩約3分 |
開門時間 | 夏期6:00~17:30 冬期6:00~17:00 |
地図 |
五條天神社の見どころ
大きな鳥居が迎えてくれます。
こちらの鳥居は大正15年(1926)に奉納されたものですが、東日本大震災の際に亀裂が入ってしまい、支柱のみ新しく修繕されています。
支柱と上の部分の色合いが違いますね。
境内に、支柱が置かれていました。
鳥居をくぐり、石段を下ります。
石段を下りると、狛犬がいます。
参道を進んでいくと、右手に手水舎があります。
丸い蓮の花の形の水盤です。
屋根の上には鳳凰がいます。
正面に社殿があります。
昭和3年(1928)に遷座した時のものです。
拝殿前にも一対の狛犬が。
シュッとした足の長い狛犬です。
太鼓が見えます。
参道の右手には七福社があります。
江戸時代に上野の繁栄を願って上野の山の各門に祀られていた祠の一つと伝えられているそうです。
神像の背に千龝萬来の文字が刻まれているそうです。
七福神の絵馬もありました。
境内左手には神楽殿があります。
不忍池側にも鳥居があります。
五條天神社の脇の自販機横には正岡子規の句碑も立っています。
「みちのくへ 涼みに行くや」「下駄はいて秋風や 旅の浮世の 果て知らず」 の2句が刻まれています。
五條天神社・花園稲荷神社の御朱印
五條天神社の御朱印は、五條天神社の本殿の向かいにある社務所でいただけます。
こちらの御朱印は印と日付のみのシンプルなものです。
また、こちらでは隣接する花園稲荷神社の御朱印もいただけます。
それぞれ初穂料は300円ずつです。
受付時間:9:00~17:00
五條天神社の由来
第12代景行天皇の御代(110年ごろ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のために上野忍ヶ岡を通られた時、大己貴命(おほなむちのみこと)と少彦名命(すくなびこなのみこと)のご加護によって救われたことに感謝して、この地に両神を祀られました。
両神は「医薬祖神」の神として信仰を集めています。
そのため、病気平癒、無病健康の祈願の他、医療や薬業に携わる人、医学部・薬学部の合格祈願に訪れる人も多いですよ。
大己貴命は大国主命とも称され、須佐之男命の御子で「いなばの白兎」など神話にも出てくる神様です。
山の神として知られています。
少彦名命は、神産日神の御子で、蛾の皮の着物に豆の実のさやを舟にして出雲の国に御到着されます。ここで大己貴命と兄弟の縁を結び初めて国民に薬の術と病を癒す方法、又お酒の作り方等もお教えになり、国土の開発に力を尽くされた神様です。
尭恵法師の北国紀行に「正月の末武蔵野のさかい忍ヶ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり、折ふし枯れたる茅原を焼きはべり契りをきて誰かは春の初草に 忍ヶ岡の露の下萌え」と記されていて、この正月は文明18年とされていることから、室町時代から「天の神」を祀る「五條天神」と呼ばれていた古社であることがわかります。
平成22年5月、創祀より1900年の記念大祭が行われました。
相殿にお祀りしてある菅原道真公は、寛永18年に合祀されました。
社地は昭和三年に現地に遷座されました。
創祀当時は、天神山(現在の摺鉢山)に鎮座していたとされますが、寛永寺の境内拡張によって、当時の神職だった瀬川家の屋敷内(現在のアメヤ横丁入口)に移り、大正にいたるまで遷座されました。
その後、昭和3年9月に現在の場所に御遷座になり、創祀の地に最も近い場所に戻ってきたことになります。
五條天神社の御祭日・例大祭
例大祭
毎年5月25日に行われます。
また、3年に一度、本社神輿の渡御が行われます。
本社大神輿は千貫神輿ともいわれ、一千貫もある神社神輿が上野公園から上野広小路一帯を巡ります。
医薬祭
また、毎月10日に医薬祭が行われます。
参列の必要はなく、人形を神前にお供えして、病気平癒祈願・無病健康祈願の祈祷が行われます。
人形に住所、名前、年齢を書いて初穂料と一緒に納めます。
毎月25日には月次祭が行われます。
うそ替えの神事
毎年1月25日には「鷽'(うそ)替えの神事」が行われます。
鷽は古来から、天神さまゆかりの鳥として親しまれていて、幸運を招く鳥とされています。
鷽’替えの神事では、宮司による一刀彫の木彫りの鷽が授与されます。
毎年新しい鷽に替えることで、これまでの悪い事が「嘘」になり、一年の幸運を招くと信じられてきました。
江戸時代には多くの人が集まって鷽を交換する風習があったそうです。