駅伝は日本発祥の競技ですが、上野は「駅伝発祥の地」というのをご存じですか?
上野恩賜公園の不忍池のほとりには、記念碑が建てられています。
駅伝発祥の地はどこ?
上野恩賜公園の不忍池沿いを歩いていると、弁天堂へと続く道の手前に石碑が建っているのを見つけました。
その石碑にはこのように書かれています。
駅伝の歴史ここに始まる
我が国、最初の駅伝は、奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が大正6(1917)年4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催された。
スタートは京都・三条大橋、ゴールは、ここ東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。
上野の不忍池で開かれていた博覧会場の正面玄関が、今から約100年前に行われた日本最初の駅伝のゴール地点だったんですね!
スタート地点の三条大橋にも上野と同じ石碑が建てられているそうです。
日本最初の駅伝
駅伝は日本発祥の競技です。
東京奠都50周年記念として、読売新聞社主催で1917年4月27日に行われた「東海道駅伝徒歩競走」が最初の駅伝と言われています。
コースは京都の三条大橋から東京上野までの23区間、その距離約516㎞!
箱根駅伝は217.1㎞を2日に分けて走りますが、日本初の駅伝は516㎞のコースを昼夜問わず3日間走り抜けたというから驚きです。
石碑の下の方にコース23区間が掘られています。
京都・三条大橋ー草津ー水口ー北土山ー亀山ー四日市ー長島ー名古屋ー知立ー藤川ー豊橋ー新居ー見附ー掛川ー藤枝ー静岡ー興津ー吉原ー三島ー箱根ー国府津ー藤沢ー川崎ー東京・上野不忍池
参加したのは、関西組(東京)と関東組(名古屋・京都)のたった2チームだったそうです。
メンバー構成は、関東組は第一高等学校、東京高等師範、早稲田の学生。
一方、関西組は名古屋の愛知第一中学の生徒や卒業生、職員たちが中心だったそうです。
最初から勝敗は明らかだったと言っても過言ではなく、関東組が1時間42分早くゴールしました。
関東組の最終ランナーは第5回ストックホルムオリンピック大会にも出場した金栗四三選手。
不忍池を一周してゴールしたそうです。
〈参考文献〉
島田輝夫,1987,『日本列島駅伝史』,陸上競技社